2009年9月30日水曜日
2009年9月29日火曜日
伝統 or 革新
最近 よく思う事が
いまの時代は「伝統」を重んじる方が良いのか?
「革新」を重んじる方が良いのか?
ということです
10年程前までは個人的に
かなり伝統の方に重きを置いていました
歴史がある=精度が高い
完成形に近いという解釈で
世間的にある程度 暗黙の了解で
基準があった様に思います
ただ 90年代後半以降
(インターネットの普及に合わせて)
基準自体がかなり変わってきたと感じます
音楽一つにしても
本当は音が一番良いアナログが良いと
思うんですが
手軽さ&便利さが重視され
デジタル音源が普及しています
デジタルで伝えられるのは
情報だけなのですが
もの作りや考え方までデジタル寄りに
シフトしている
そういった事を感じるので
かなり機械音痴なのですが
デジタルの現在に触れる様にしています
どちらか二者択一ではないんだと思いますが
それぞれの空気感を掴んでないと
時代に潰されるような気がします
2009年9月28日月曜日
2009年9月27日日曜日
電子マネー
最も普及している電子マネーの「Edy」を
運営するビットワレットは9期連続赤字と
苦しい経営が続いている
発行枚数はカードとおサイフケータイを合わせると
5000万件を数える
赤字の原因は人件費と固定費で
新規分野のため販売促進での営業経費としての人件費
加盟店に置いてある「Edy用決済端末」のコストの固定費
(ビットワレットが負担していて 減価償却も終わりに近い)
という事で黒字化にめどが立ってきている
ちなみに電子マネーの収益源は
Edy加盟店が支払う手数料収入になる
創業以来
「中立性を重視し 多くの企業と手を組める電子マネー」
というスタイルを守り続けている
黒字化するには手数料に続く
新しい収益源を育てていく事が必須
2009年9月26日土曜日
「ふるさと」の発想
地方は 都市に水 電気を供給している
米も地方で生産される
そして何より人材を育てて都市に送り込む
人材とは
「人口82万人の福井県では
毎年約3000人の若者が進学や就職などにより
県外に出て行く
そのうち戻ってくるのは1000人
毎年2000人が減っていく計算である
福井県で成長する若者が出生から高校卒業までに
受ける行政のサービスの総額は
一人当たり約1800万円である
ライフサイクル・バランスを正そうとする考え方は
「ふるさと納税」が構想の基本となっている」
都市は地方の資源を消費して成長している
歴史的に見ると明治初期の国税収入の
3分の2は地租であったそうだ
現在の都市の繁栄は地方で産み出された
富と人材を都市部に集中投資した結果だったのだ
人材こそ 都市の市場が様々な付加価値 利潤を
生み出している経済的な源である
日本の様に 優れた人材が地方から都市に
供給するシステムは
人口の単純な移動と見るべきではない
なるはど都市は若い人材にとって
活躍する場を与えてくれる場ではあるが
経済的には 都市と地方の間のアンバランスな所得が
生まれる隠れた要因にもなっているのだ
多くの国では人口の都市流入は
年川のコスト要因になっているが
日本は必ずしもそうではない
もはや都市にとっても利益の源泉を失う事になる
自由な個人が作り上げる「新しいふるさと」をつくろう
2009年9月25日金曜日
2009年9月24日木曜日
東洋の学
いまも無意識として働いている
原初的で不変な人類の心の構造を
合理的推論に代わって
新しく人類学の学の基礎にすえようとする
この「原初的で不変な人類の心」は
仏教の華厳思想にしめされているような
全体性として作動をおこなう
マンダラの構造をもっている
そこでは 生と死は双対になった全体的現象であるし
現実と潜在的なものも双対になって
ひとつの全体をなしている
これまで科学を索引してきたのは
因果律と矛盾率の制限内でおこなわれてきた
「西洋の学」であったが
その先に出現してくるのは
人類の不変で原初的な心の構造の上に構築された
「東洋の学」に導かれる
もう一度深い科学でなければならない
2009年9月23日水曜日
プリンスオブペルシャ part1
またまたCX動画です
この番組の人気とは?
と考えると
1懐かしい
(ゲームの思い出は意外と多くの人が持つ共通感情
ファミコン創世記に関わったのがよゐこ有野同様
団塊ジュニアという人口割合が多い層である)
2プレイが素人に近い
(まるで自分がしている様 うまくいかない
友達の家の感覚)
3コアな層に向けての番組
(CS放送 地上波ではない)
ということか
特に2により
インターネット時代の
個人が主役として参加でき
実際のありのままがおもしろい
(youtubeの感覚 何でもない日常)
という
いままでのメディア(TV)にはなかった
楽しみ方を提供でき続けていることにあると思う
アダム・スミス
「国富論」の著者である
「神の手」「見えざる手」で有名で
市場メカニズムが機能することにより
人々の利己的な動機に基づく利益追求行動が
結局は社会全体の利益発展にむすびつく
従って経済活動は人々の自由に任せるのがよい
という論を展開し
「経済学の祖」とも讃えられる大経済学者
経済界の世界であまりにも有名になりすぎたため
ついつい見落とされがちだが
スミスは「道徳感情論」の著書でもあり
思想家としても著名だった
個人の利己心に依拠する経済行動学の
重要性を論じたが
あくまでも そうした野心や競争は
社会的存在としての人間が
自らの心の中に持つ「公平な観察者」によって
是認されるという制約条件付きで
無条件だったわけではないこと
彼が富に注目していたのも
富には人と人を繋ぐという機能があるからだった
2009年9月22日火曜日
2009年9月21日月曜日
その場しのぎの蓄積
脳の進化上の制約とは
1既存のもののうえに新たな部分を付け加えるしかない
2いったん持たせた機能を「オフ」にするのが非常に
難しい
3ニューロンの処理速度が遅く信頼性が低い
ということ
「その場しのぎの対策」のためのつぎはぎによって
脳は大きくなり ネットワークの構造は複雑になり
万能機械になっていったが
燃費は悪く非効率で
予想外の副産物を多く生み出していった
ある説によると
人間は毎晩夢を見ることで膨大な記憶を
整理していく
レム睡眠とノンレム睡眠の反復によって
記憶の定着と融合をおこなっているという
そして非論理的で奇想天外な物語が
夢の中で展開されることで
超自然的な物語が脳に定着し
宗教を信じる脳ができあがった
進化上の制約によって
人間の脳には様々な記憶のエラーが
起きやすくなっている
かつては生存ために有利だった認知バイアスも
現代では判断を誤らせるだけの
設計ミスになっている
セプテン・トリオン part1
今回は「セプテン・トリオン」です
ハードはスーファミ
変わった内容のゲームです
でも気候の良い時期ですので ゲームの動画見るより
外出でもした方が良いでしょう
※ちなみに僕はほぼゲームしません
決してゲーマーではありませんので
あしからず
2009年9月20日日曜日
ブータン
ヒマラヤ山脈沿いの中国の南
ネパールの東 バングラデッシュの北に位置する
人口はわずか70万人(島根県ぐらい)です
この国にはGNH(国民幸福度)というものがあり
「人間は物質的な富だけでは幸福にはなれず
充足感も満足感も得られない
そして経済発展と近代化は人びとの
生活の質および伝統的価値を
犠牲にするものではあってはならない」
という考え方です
国土に占める森林の割合を60%以上に
保つなどの法律があったりする
いま現在でも団体旅行者しか
受け入れない鎖国状態の国だが
国民の60%が英語を話す
近隣アジア各国と違い
物乞いや物売りの子供はいなかったり
看板が極端に少なかったり
信号が首都に一つしかなかったりと
独特の雰囲気を醸し出す行ってみたい国
2009年9月19日土曜日
2009年9月18日金曜日
限界芸術
今日の用語法で「芸術」と呼ばれている作品を
「純粋芸術」と呼びかえる
この純粋芸術に比べると
俗悪なもの 非芸術的なものを「大衆芸術」
両者よりもさらに広大な領域で
芸術と生活との境界線にあたるものを「限界芸術」と
呼んでみる
バレエ 歌舞伎 能 純粋芸術
ロカビリー チャンバラのタテ 大衆芸術
日常生活の身振りや労働のリズム 限界芸術
絵画 純粋芸術
紙芝居 ポスター 大衆芸術
落書き 絵馬 年賀状 限界芸術
となる
限界芸術の諸様式は
芸術としての目立たぬ様式であり
芸術であるよりもむしろ
他の活動様式に属している
この特殊な位置の故に
限界芸術のことを考えることは
当然に 政治・労働・家族様式・社会生活
教育・宗教との関係において
芸術を考えていく方法をとることになる
そして マスメディアが登場するまでの庶民は
純粋芸術や大衆芸術に触れる機会はほとんどなく
限界芸術こそ芸術に参加する接点であった
現代は限界芸術がネットワークによって
世界に伝わっていく時代
2009年9月17日木曜日
2009年9月16日水曜日
2009年9月15日火曜日
知識の社会史
集めた情報を体系化し
再編成していくやり方は
時代や地域によって大きく異なる
西洋の近代の学問体系に大きな影響を与えたベーコンは
心には3つの能力( 記憶 理性 想像力 )があるとして
その図式のもとにあらゆる知識を分類した
たとえば歴史を「記憶」 哲学を「理性」
詩学を「想像力」に分類した
知識の社会史は
知識を生み出す体制と
それを破壊するイノベーターの歴史でもある
制度化されることの重要性は
一般的にいって
周縁にいる個人は輝かしい新思想を生み出しやすい
他方 その思想を実践に移すには制度を築く必要がある
たとえば われわれが「科学」と呼んでいるものの場合
十八世紀の制度改革は学問分野の実践に
大きな効果を及ぼした
しかしながら制度は遅かれ早かれ固定化し
更なる変革への障害となる
定着した制度は既得権益の場となり
その制度に権益を持つ集団によって占められ
その知的資本を失うことへの恐怖が生まれてくる
クーンが「通常科学」と呼んだものの支配は
このようにして社会的にも制度的にも説明できる
中心と周縁 異端と正統 愛好家と専門職
改革と日常仕事 公式と非公式 など
しばしば対立する二つの集団の
相互作用ぎあいによって
知識を創造する社会が進化してきた
「この山脈のこちら側では真理でも
反対側では誤りとなる」というふうに
歴史的に見て情報や知識は
どこにいるかによって異なる
情報がネットワ−クでフラット化した現代でも同じ
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