2011年3月21日月曜日

祝辞  高橋源一郎さんのtweetより 14〜25








「祝辞」14・幾人かの教え子は、「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴えました。だから、わたしは「慌てないで。心の底からやりたいと思えることだけをやりなさい」と答えました。彼らは、「正しさ」への同調圧力に押しつぶされそうになっていたのです。

「祝辞」15・わたしは、二つのことを、あなたたちにいいたいと思っています。一つは、これが特殊な事件ではないということです。幸いなことに、わたしは、あなたたちよりずっと年上で、だから、たくさんの本を黄泉、まったく同じことが、繰り返し起こったことを知っています。

「祝辞」16・明治の戦争でも、昭和の戦争が始まった頃にも、それが終わって民主主義の世界に変わった時にも、今回と同じことが起こり、人々は今回と同じように、時には美しいことばで、「不謹慎」や「非国民」や「反動」を排撃し、「正しさ」への同調を熱狂的に主張したのです。

「祝辞」17・「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。

「祝辞」18・二つ目は、わたしが今回しようとしていることです。わたしは、一つだけ、いつもと異なったことをするつもりです。それは、自分にとって大きな負担となる金額を寄付する、というものです。それ以外は、ふだんと変わらぬよう過ごすつもりです。けれど、誤解しないでください。

「祝辞」19・わたしは「正しい」から寄付をするのではありません。わたしはただ寄付をするだけで、偶然、それが、現在の「正しさ」に一致しているだけなのです。「正しい」という理由で、なにかをするべきではありません。「正しさ」への同調圧力によって、「正しい」ことをするべきではありません。

「祝辞」20・あなたたちが、心の底からやろうと思うことが、結果として、「正しさ」と合致する。それでいいのです。もし、あなたが、どうしても、積極的に、「正しい」ことを、する気になれないとしたら、それでもかまわないのです。

「祝辞」21・いいですか、わたしが負担となる金額を寄付するのは、いま、それを心からはすることができないあなたたちの分も入っているからです。三十年前のわたしなら、なにもしなかったでしょう。いま、わたしが、それをするのは、考えが変わったからではありません。ただ「時期」が来たからです。

「祝辞」22・あなたたちには、いま、なにかをしなければならない理由はありません。その「時期」が来たら、なにかをしてください。その時は、できるなら、納得ができず、同調圧力で心が折れそうになっている、もっと若い人たちの分も、してあげてください。共同体の意味はそこにしかありません。

「祝辞」23・「正しさ」とは「公」のことです。「公」は間違いを知りません。けれど、わたしたちはいつも間違います。しかし、間違いの他に、わたしたちを成長させてくれるものはないのです。いま、あなたたちが、迷っているのは、「公」と「私」に関する、永遠の問いなのです。

「祝辞」24・最後に、あなたたちに感謝のことばを捧げたいと思います。あなたたちを教えることは、わたしにとって大きな経験でした。あなたたちがわたしから得たものより、わたしがあなたたちから得たものの方がずと大きかったのです。ほんとうに、ありがとう。

「祝辞」25・あなたたちの前には、、あなたたちの、ほんとうの戦場が広がっています。あなたを襲う「津波」や「地震」と、戦ってください。挫けずに。さようなら。善い人生を。




























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