2010年3月25日木曜日

みる かんがえる はなす




大人になるとなぜか人は
美術作品をみて自分がどう感じるかは
どうでも良いことで
美術に目を向けるのは
「見方を学んでから」にしたほうがよい
と考えるようになるらしい

自由に(しかし深く) 作品をゆっくり時間をかけて
味わってからではないと
そうした知識は役に立たない
伝統的な美術館は 専門家が高いところから
知識を与える姿勢で展示を構成しているから
子供たちは素直に自分の感じ方を
味わうことができない
本来あるべき美術教育は
「みる」 「かんがえる」 「はなす」
感じたことを思考と言葉で表現する力を
育てることにある

ある作品を見せてから
たとえば「この絵のなかでは何が起こっているの?」
というような簡単な質問をすれば
その時心に浮かんだことをそのまま口にするだろう
しかし そうした思いつきや独りよがりな考えも
「絵のなかの何を見て そう思ったの?」というような
問いかけをすると
子供たちは最初の答えを裏付ける手がかりを探そうとして
作品をもう一度見直し その過程で目の前に展開する
「新しい」映像のなかの さまざまな要素の重要性を
秤にかける作業を迫られる


一つだけ確かなのは
美術がもたらすよろこび
そしてときには荒々しいほどの衝撃は
その大半が私たち自身のつくりだしたもの
私たちが映像に託した実存感のなせる業だ
ということである 



























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