視覚と聴覚のズレこそ
ユダヤ教思想の核心である
ユダヤ教では偶像を造ることが
禁じられている
神を空間的な表象形式に
回収することは禁忌である
というのは
ユダヤ教の宗教性の本質は時間性だから
神の時間先行性こそが神性を構築している
神を空間的表象にすると
本質的なところが消えてしまう
だから”神を見てはならない”
視覚的な神像を持つという事は
神と人間が同一の空間に
同時的に存在するという事になる
しかし 神の名は知られており
それを発音することは例外的に
許されている
ただ 「YHVH」という神の名の読み方を
知っているのは最高祭司ただ一人である
ユダヤ人の場合は造形芸術が
禁圧されているので
いきおい信仰の表現が音楽に向かう
音楽は聴覚の芸術
言い換えると「時間の芸術」という事になる
空間的表象形式を使えば
対象は無時間的に一望俯瞰的に表彰される
「無時間モデル」ということは
そこに「遅れ」という概念は成り立たない
「遅れ」は画像的には表現できない
主体がそこにあるのは
誰かに場所を譲られたからであるという事況は
視覚的には示すことはできない
時間のないところには真の宗教性は生まれてこない
ユダヤ創世神話の
「神が収縮して 世界の為の場所を空けた」という
(ふつうは神が無から有を生み出す)
”人間の時間的な遅れ”という意識による
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