教育というのは
本質的に「教える側の持ち出し」である
学校教育の目的は
学ぶ側に「十分に努力したので
努力にふさわしいだけの報酬を得た」
という合理的な達成感を
得させることにあるのではない
自分が「求めていた以上のもの」
「求めていた意外のもの」を受け取って
しまったのだが
それが何であるかがよくわからないので
それを知るために そのあと長い時間を生き
さまざまな経験を巡らなければならなかった...
という行程の全体をふくむものが教育なのである
主体は本人である
これは「自己教育」なのである
けれどもこの自己教育が発動するためには
「自分はいったいこの学校で何を学んだのか
よくわからない」という
「謎」が必須なのである
謎が生じるためには
そこに必ず「求めている以上のもの」
「求めている以外のもの」がなければならない
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