2010年1月15日金曜日

言語表現法




どんなに感動が深くても
どんなに苦悩が深くても
それはそれとして文章がいいことの
保証にはならない
すごく苦しんだ人がすごく凡庸に
すごい苦しみを書く
なんて文章の世界にはザラです
むしろすごい苦しむとそれに囚われてしまうから
余り苦しまない人の方がいいかな
というくらいのことさえ言われている

感動の重力から自由になれ
いったんその感動は伝達不能と思って
あきらめろ
するとヨソから書く契機がやってくる
それは実は「書けない」という抵抗や
間違いのような一種の妨害者のようなものだ

話がその時の勢いでずれる
ヨットが東に行く風を帆に受け
その風で北に行こうとする時には
ばたばたと震えるでしょう
そんなふうにそういう時の文章は
力を持ちます


「本当」の事は大事だし
それをめがけてでしかヒトは生きられないが
しかしその「本当」のことは
笑い飛ばされる必要がある
そうでないと「本当」のことは
何ものもこれを否定できないことになってしまう
それは「本当」のこと自身の望まないことではないか
そこに風穴をあけるものがフィクションである

























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