2009年11月21日土曜日

「空気」の研究





日本人に特有の
「空気を読む」「水を差す」とは
どういうことか?

われわれの社会は常に
絶対的命題をもつ社会である
”忠君愛国”から”正直者が馬鹿を見ない世界であれ”
に至るまで
常に何らかの命題を絶対化し
その命題を臨在感的に把握し
その「空気」で支配されてきた

そしてそれらの命題
たとえば”正義は最後には勝つ”
そうならない社会は悪いと
戦後も戦前も考えられてきた
そのためこれらの命題まで
対立的命題として把握して
相対化している世界というものが
理解できない

そしてそういう世界は存在しないと
信じられてきた
だがそういう世界が現実に存在するのである
否 それが日本以外の大部分の世界なのである

論理的判断の基準と空気的判断の基準の
ダブルスタンダードが日本の特徴である
自由な議論の場をつくる為には
必要に応じて話に「水を差す」という事が
実は重要なことなのだ

論路的な議論を重視する西欧社会においては
水こそ通常性なのである
水と空気の比率の違いは
民主主義や多数決原理のあり方にも表れてくる























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