2009年2月21日土曜日

続 エルサレム賞②




       ( 壁と卵 スピーチ続き )

このメタファーは何を
意味しているのでしょう?
場合によってはあまりに単純かつ明白です
爆撃機 戦車 ロケット弾 白リン弾
それらがこの高い壁です
卵とはそれによって押し潰され  焼かれ
撃ち殺される非戦闘員市民たちのことです
これはこのメタファーの一つの意味です

しかし
それだけではありません
これにはもっと深い意味があります
こんなふうに考えてください

私たちは誰もが 多かれ少なかれ
卵なのです
私たちのひとりひとりは脆い殻に包まれた
ひとつひとつがユニークで代替不能の命です
私たちは誰も程度の差はあれ
高く硬い壁の前に立っています
その壁には名前があります
「システム」です

「システム」は私たちを保護することに
なっています
けれども  しばしばシステムはそれ自身の命を持ち
私たちを殺しまた私たちが他者を殺すように
仕向け始めます
冷血に 効率的に 組織的に

私が小説を書く目的はただ一つです
それはひとつひとつの命をすくいあげ
それに光を当てることです
物語の目的は警鐘を鳴らすことです
「システム」にサーチライトを向ける事です
「システム」が私たちの命を
蜘蛛の巣に絡めとり
それを枯渇させるのを防ぐために

小説家の仕事とは
ひとりひとりの命のかけがえのなさを
物語を書く事を通じて明らかにしようと
することだと私は確信しています
生と死の物語 愛の物語
人々を涙ぐませ 
ときには恐怖で震え上がらせ
また爆笑させるような物語を書く事によって
そのために私たちは
毎日完全な真剣さをもって
作り話をでっち上げているのです

私の父は昨年90歳で死にました
父は引退した教師でパートタイムの僧侶でした
京都の大学院生だったときに父は徴兵されて
中国の戦場に送られました
戦後生まれの子供である私は
父が朝食前に家の小さな仏壇の前で
長く 深い思いを込めて読経する姿をよく見ました
ある時
私は父になぜ祈るのかを訪ねました
戦場で死んだ人々にために祈っているのだと
父は私に教えました
父はすべての死者のために
敵であろうと味方であろうと
変わりなく祈っていました
父が仏壇に座して祈っている姿を見ているときに
私は父のまわりに死の影が漂っているのを
感じたように思います

父は死に
父は自分とともにその記憶を
私が決して知る事のできない記憶を
持ち去りました
しかし
父のまわりにわだかまっていた死の存在は
私の記憶にとどまっています
これは私が父について話す事のできるわずかな
そして もっとも重要なことの一つです

今日 皆さんにお伝えしたい事は
たった一つしかありません
それは私たちは国籍も  人種も 宗教も超えた
個としての人間だということです
そして
私たちはみな「システム」と呼ばれる
堅牢な壁の前に立っている脆い卵です
どう見ても 勝ち目はありません
壁はあまりに高く 強固で 冷たい
もし私たちにわずかなりとも
勝利の希望があるとしたら
それは自分自身と他者たちの命の
完全な代替不能性を信じること
命と命を繋げるときに感じる暖かさを
信じることのうちにしか
見出せないでしょう

少しだけそれについて考えてみてください
私たちはひとりひとり
手に触れることのできる
生きた命を持っています
「システム」には
そういうものはありません

だから 私たちは「システム」が
私たち利用することを
「システム」がそれ自身の命を持つことを
防がなければなりません
「システム」が私たちを
作り出したのではなく
私たちが「システム」を
作り出したのだからです

これが私が言いたいことのすべてです

































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