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ここではないどこか
外部のどこかに
世界の中心たる「絶対的価値帯」がある
それにどうすれば近づけるか
どうすれば遠のくのか
もっぱらその距離の意識に基づいて
思考と行動が決定されている
かつては中国であり
欧米列強であり
今はアメリカあたりが
中心になっている
私たちに世界標準の制定力がないのは
私たちが発信するメッセージに
意味や有用性が不足しているからでは
ありません
「保証人」を外部の上位者に
つい求めてしまうからです
外部に「正しさ」を包括的に保証する
誰かがいるというのは
「弟子」の発想であり
「辺境人」の発想です
ただ辺境人だからダメという事ではなく
辺境人だからこそ
「外部に上位文化がある」というロマンは
無限の「学び」に繋がる
どこまでいってもまだまだ上があると思い
道を究めていくことができる長所がある
劣等感は個人において
成長の糧になるものだが
民族レベルでも文化的劣等感というのが
役割を果たすことがある

のシステムがハッキングされて
無修正ポルノムービーが流されるという事件が
ロシア モスクワで起きたそうです
ムービーが流れた途端に
急ブレーキをかける車が続出して
渋滞を引き起こした様です
幸い深夜の出来事

個人で展開されてる日本のブランド
による名詞入れ
片手で一方を握ると
名詞が押し出されてくる
abrAsusとは
ユダヤの言葉で「削る」という意味
ダブルミーニングで「油を注す」という意味も...

今までのように日本という市場を
解放することなく
アジアというマーケットを
重視するという姿勢では
結局は「輸出」という発想に
落ち着いていしまい
日本とアジアの経済関係のシフトも
日本の需要構造の変革ももたらすような戦略を
策定することができないのではないか
その一方で
企業は輸出という海外進出によって
乗り切ろうとするところが増えるだろう
日本で作って海外に売るという
これまでのパラダイムを
適地生産に切り替えるという事
その意味で日本企業は
海外展開に耐えうる力を
いろんな意味で貯えようとしている
こうした状況下では
日本企業にとって日本国内での
雇用の維持は最重要課題ではなくなる

南米アメリカ大陸に分布するイグアナが
いかにして南太平洋の島々の
フィジーやトンガに分布するに至ったか?
今までの通説は
南米大陸から太平洋を漂流して
流れ着いたとするものだったが
流れ着くのに6ヶ月程は必要とみられ
流木などの上で生きるには
長過ぎる期間です
そこであたらしい説は
”徒歩”です
島々がまだゴンドワナ大陸の
一部であった時に徒歩で移動したと...
DNAを分子時計分析すると
6000万年以上前に他の属から
分岐したことが判明しました
化石証拠などからでも
過去にアジア大陸で生息していたことが
明らかにされています
フィジーとトンガ以外の
南太平洋の諸島にはイグアナが
生息していません
ただ化石などにより過去には生息していた
痕跡はあり 人が住み始めたころに
絶滅したことが示唆されている様です
フィジーとトンガは周辺諸島と比べ
人の住み始める歴史が浅く
絶滅を逃れたのではないかと
今回の研究により「漂流説」が完全に
除外されたわけではないが
「徒歩説」は以前考えられていたより
遥かに地に足の着いた理論であることが
示されました

どんなに感動が深くても
どんなに苦悩が深くても
それはそれとして文章がいいことの
保証にはならない
すごく苦しんだ人がすごく凡庸に
すごい苦しみを書く
なんて文章の世界にはザラです
むしろすごい苦しむとそれに囚われてしまうから
余り苦しまない人の方がいいかな
というくらいのことさえ言われている
感動の重力から自由になれ
いったんその感動は伝達不能と思って
あきらめろ
するとヨソから書く契機がやってくる
それは実は「書けない」という抵抗や
間違いのような一種の妨害者のようなものだ
話がその時の勢いでずれる
ヨットが東に行く風を帆に受け
その風で北に行こうとする時には
ばたばたと震えるでしょう
そんなふうにそういう時の文章は
力を持ちます
「本当」の事は大事だし
それをめがけてでしかヒトは生きられないが
しかしその「本当」のことは
笑い飛ばされる必要がある
そうでないと「本当」のことは
何ものもこれを否定できないことになってしまう
それは「本当」のこと自身の望まないことではないか
そこに風穴をあけるものがフィクションである