
美空ひばりの歌には
いつでも独特の悲哀感が漂っていた
だが尾崎豊の歌には
苦しみと怒りの叫びがいつもこだましていた
悲哀感は それこそ
「川の流れのように」人びとの胸に浸透し
その内攻する心の扉の中に
溶け込んでいく
世代の垣根を超え
誰にでもある心の高ぶりや不安を慰撫して
それを鎮める役目をはたす
悲哀感とは
何よりも時代の感性を生み出す
母胎のようなものではなかったか
古の時代から昭和まで
日本人にとって「歌」とは
「身もだえの調べ」が本質であった
琵琶法師の平家物語は時の流れに
無情を嘆くわけだし
親鷲の和讃は自己の罪悪性に対する悲嘆でもあった
またかつて歌には魂鎮めとしての挽歌
相聞歌という要素もあった
ところが現代では
湿った叙情に対する軽蔑 敵意さえ
感じられるようになった
悲哀や身もだえは現代の歌謡には
演歌を除いて見られなくなった
これは日本の1000年以上の
長い歌謡史において 大変な変化である

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